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ウクライナ・新旧社会主義者の闘争

 国家は変容しているボーダレス国家

  今、デジタル社会がもたらしているもの。どこの国にいて、何人という国家所属を申告しようと、デジタル社会では。仮想国家となりつつある。

 ウクライナとロシアが戦争しているのではなく、旧全体主義国家と個人の自由・人権を標榜する「新  

 全体主義もしくは新社会主義国民」が主導権争いの闘いを行っていることに気づかなければならない。

 戦争の本質は国境と経済の覇権争いであったが、今日では、ポスト習近平・プーチン対旧専制全体主義国家の幻想を維持しようとする争いにとって替わっている。

 つまり、アメリカも社会主義、共産主義化している。日本人も、10年、20年前の「結婚式に金をかけるような伝統的な家族主義」は消え、もはや結婚や生殖、家を家族を継続することを放棄しつつある。   

 家族が崩壊し、家系や国家観が欠落している今日の象徴的なデジタル社会とは、端的に言えば、バーチャルな旧社会主義者と新社会主義者のポストバーチャル覇権争いとなっていることに気づかなければならない。

 歴史と文化は継承どころか、断絶し、子孫なき「死」と根絶に向けてもがき、苦しんでいるに過ぎない。国土と貨幣は何ら意味と価値を果たさなくなっている。民主主義は、疲弊し過ぎた。もう、国家という概念、憲法という概念も剥離しつつある。この事実が示すものは、国家や自由、そして労働という概念、利益という名の搾取が、前時代的な階級闘争によって消え去るということだ。