中国の集団自殺は新たな民主主義のための破壊と再創造へ
日本からみれば、尖閣や経済活動から悩ましき「隣国」である中国。
国とは生き物でもある。
だからときに病にもなり、死ぬときもやってくる。
民主主義だからというのではなく、はたまた共産主義だからというのではなく、
来るべき、人類の、あるいは地球の節目、割れ目としての中国の覚悟が迫られている。
もう、姑息なデジタルや核兵器、多数派工作の擬似的「生き残り」はオリンピックと中国という国を新たに「蘇生」させるに十分なエネルギーを溜め込んだことになる。
オリンピックが悲劇的な経済団体に成り下がったのは残念ではあるけれども、ひとの精神の自由はますます中国を解体に追い込んでゆくことになるだろう。
ただし、日本の中国信仰者たちは、この再創造の割れ目に嵌り落ちることだろう。
新たな「民主主義」への蘇生は、オリンピックを起点にはじまろうとしている。
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