わたしたちは負の遺産として「錯覚」を持っています
誰もが幸せになりたい
ひとの役に立ちたい
と思っているわけではないのです
自分は大丈夫だろう
犯罪とはならない
なるはずがない
と過信していませんか?
会社が 家族が 仲間が 社会が
守ってくれません
守るのは自分の考えや行動ではありません
偶然でもありません
自分の立ち位置を知ることなのです
世の中は無尽蔵 想像できることはすべて起きるのが世の中です
仏教にも無常があり 確かなものなど わたしたちのまわりになにひとつないのです
その事実を知ることが大切です
立ち位置は立場ではありません
俯瞰して 自分が何も守られていないことを知ることです
だからひとは祈るのです 祈りを捧げるのです
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