皇室の親和性と神話性

神としての天皇を語るとき、日本の歴史と神秘性について語らなければなりません。若いあなたは天皇制について、平等な民主主義国家から考えるとどうして?と自分の存在と皇室を考え、あたかも不平等に考えてしまうかもしれません。

小生は右翼でも軍国主義者でもありません。

しかし、日本国民として、その象徴、精神的支柱としての天皇に関して極めて高い親和性を感じるものです。

現人神と天皇を敬います。これは平等な人間の考えでしょうか?

小生は現人神として奉ることに賛成です。

国民であるまえに、この風土で私たちは誕生し、育ったのです。

これは持ってうまれた環境なのです。

小生もノンポリ的な活動をしてきたことがあります。

しかし、日本共産党とはっきり対峙するのは、天皇の解釈にあります。

国民であるということ、国籍を有するということはその血筋、人種に関係なく憲法のもとに集いているということです。

すると、私たちは日本語や英語で会話するにあたり、その関係性を構築するにあたり、象徴天皇、皇室を奉っているのです。

そこには日本国の歴史、日本人のルーツがあるということです。

起源はとても大切なものです。

この天皇、皇室を認めてこなかったのが、つまり天皇制を否定してきたのがロシア以来の共産党の最大目的です。

小生は共産主義やその思想、日本共産党に対し否定することなく認めるものです。しかし、事実として暴力革命により皇室を倒そうとしたことは事実であり、そのことは日本の歴史や国民の心情を否定するものです。

そうした考えのひとは日本の中で革命を叫ぶのではなく、違う憲法のもとに国をつくるべきです。つまり、日本国民をまずやめることから考えることが必要なのです。

同じことが創価学会や公明党にも言えます。

違う憲法を求めるのであれば国を変えるのではなく、革命や宗教革命のまえに自らの信じるところで新しい風土、国土を建設すべきです。

実際アメリカではそうした宗教都市が存在します。バチカンも独立国家です。

そうしたものを求めるべきです。日本でも高野山や天理などはそうした考えと日本風土を適合させて存在しています。

日本も人種が増え、外国人の比率が高くなるにつれ、宗教対立は激化します。

あと、10年、20年で日本は全く古い日本とはかけ離れた国になります。

そのとき、日本人が新しいに日本人として生き残るためには憲法と文化を守るしかないのです。それでも海外にその存在や生き残りを託すひともたくさん出てくるでしょう。

皇室の存在は日本人の魂の問題です。

皇室は私たちの故郷であり、起源であり、精神的支柱なのです。

あなたもぜひ、そのことを頭に入れて生活して下さい。