選挙の前に民意を問う?

あなたは民意はどこにあると思いますか?政治的な合意、たとえば選挙結果は民意でしょうか?実は民意は憲法にあるのです。

憲法とは「この指とまれ」の合意です。国に従いたくなければ世界に出て行けばいいのです。小生は日本が好きです。民意は反映されるべきと信じます。しかし、民意とは多数決のモードのことではありません。例えば賛成の中には反対が含まれているのです。

いま、私たちは中国と戦争をしようとしています。そういう状況にあります。

これは民意ではありません。しかし、自衛隊という軍備は戦争を忖度していると言えます。共通認識は民意ではありません。民意とは絵空事の変わり行く雲の如き霧のような正体のないものです。

民主主義はすばらしい命題です。ある意味自由主義と交差し、場合により対立します。民主主義は民意の反映にありますが、100%繁栄ではありません。多数決でもありません。モード優先でもありません。強いていえばムードです。野球観戦やコンサート、サッカーやデモのように自衛隊に入隊を希望するひとはいません。そして自衛隊員や警察官の自殺、犯罪がどうしてこれだけ多いのでしょうか?薬物はどうしてなくならないのでしょうか?世界から戦争が消滅しないのと一緒です。

参議院選挙も国民投票も民意を反映するものではありません。

たとえば、白票と棄権、反対票を足すとモードとしてほとんどの民意はノーなのです。

白票は意思なき棄権と一緒で綜合的には無効というクラウドを作っているのです。この国をつくっているもの、それは憲法に他なりません。では憲法を改正すべきか?それは中国とガチンコの戦争をし、国境を争うためには必要なものです。平和ではありません。しかし、平和と見える戦争反対もまた戦争を引き起こします。つまり、国家無き無差別テロには国家権力は無意味なのです。

ひとは死ねばとりあえず、自由を放棄することに至ります。

生きていること、安全が民意なのです。

これはどこの国のひとも一緒です。

政治とは手法、方法論を選択しているにすぎません。

日本人はテロリストの死について同じ人間として理解できないのです。

それはプライド、尊厳です。そうでなければ生きていかれない、命のインフラについて無常を持ち込んでいるのです。

いままで、プライドは歓びに勝ってきたのです。

そこで憲法を考えてみましょう。

憲法はプライドの文章化です。

誇りとは生命のあり方、強いていえば死に方の満足度、希望のことです。

つまりテロリストは死に方に歓びを求めているのです。

日本人は侘び寂びが大好きです。それは女体の曲線のように魅惑的なもので、幻影なのです。しかし、この非生産的なものが民意なのです。そして憲法なのです。

次に起こる日本の場面は小生たちの、つまりあなたの想いを民意を反映しているはずのものなのです。

一生銃をもたず死んでゆけることに感謝すべきでしょうか?それともスマホやネットを通して多くのひとを傷つけ、間接的に多くの悲しむべき事実の生産に寄与していることに気づくべきでしょうか?

あなたは自由と生命の維持、尊厳のために、いま行動すべきことがあることを知るべきです。あなたは50年後どんな世界で、どのように生きていると思いますか?喜びは一瞬ですが歓びは永遠の感動の記憶です。

そのことをいま、あなたに考えて欲しいのです。