負の遺産

 核を持つことは核廃絶に反しているのか?核は核兵器ばかりではなく、原発もあります。小泉元総理が米兵のおともだち作戦で福島沖の被爆について涙した報道に対し、決して安倍総理と対立しないことを知らなければなりません。

 小生も原発、すべての放射能に反対です。人命は何より尊いと認識しています。

 広島に核を落とす必要があったのか?もし、日本が勝ち、大勢のひとが戦火に倒れたとしても核を使わない方が良かったのか?終戦のためには、帝国日本を滅ぼすためには世界の迷惑「日本」を壊滅させなければならないのか?

 小生はこう考えます。

 今のISやイラク、シリアにどんなことがあっても一般市民、女性、子供を殺戮する権利を誰も持っていないはずです。矛盾なく、どんな酷い殺人者でも命を全うする義務を持っているのです。責任、罪と命は別物です。

 多くの地球上の生物、動物はひとによって殺されてきました。もちろん食物連鎖ではあります。命をいただいて命を紡いできたのがひとの歴史です。

 だからこそ、ひとがひとを減らしてはいけません。ひとはひとを食べません。

 それが尊厳、知性だからです。

 核を持つことはしないに越したことはありません。

 しかし、核を持つ国に核を使用させてはいけないのです。

 そのためには核廃絶まであらゆる手段をとるべきなのだと思います。

 では核を廃絶するためにはどうしたらよいのでしょうか?

 それはアメリカも日本もナショナリストを排除することです。

 トランプ大統領が誕生するということはこのナショナリストを排除することなのです。クリントンは元大統領はリベラリストでしょう。しかし、ヒラリーはリベラリストではありません。今度の選挙で日本、アメリカは中国、北朝鮮、ロシアへのナショナリスト退治がはじまるのかもしれません。