エンターテイメントメディア

 新聞メディアをはじめ、テレビ、週刊誌は文春を見るまでもなくnewsからEntertainmentへ変貌した。良く考えてみて欲しい。いまだに新聞他の記事がすべて記名式になっていない。朝日にしろすべてのメディアは新聞社名で発信したものにはあらゆる責任があり、会社が消滅しても責任を負わなければならないと考えます。

 現在のメディアは経済動向に迎合しているともうしますか、芸能、ゴシップ、批判報道ばかりで建設的な新規範に対して創造的ではありません。

 この根本は私たちが裁判官、検察官、官僚に対し甘いからです。

 正しいとか、正義が揺らいだ結果です。

 共産主義も恐ろしいですがもっと恐ろしいのは自由主義という冠の資本主義社会にあってパナマ文書のように管理的(エスタブリシュ)、組織化する資本家たちの思惑です。その思惑すら揺らいでいるのです。

 では何を予言しているかと言えば、近く世界の経済動向が戦争や軍需により勢力変化する中で崩壊するということです。逆に言えば経済破たんしたnewsはEntertainmentとなるしかなかったのです。それしか生き残れなかったのです。

 ではそのnewsをどのように受け取っているかと言えば、小学生や一部の中学生がご近所情報として受け取っているにすぎません。

 つまり、予言するまでもなく、真実、事実は、国民が私たちが知らなければいけない情報は知ることができなくなっているのです。

 芸能人がTwitterしたことがnewsになってしまっています。

 そもそも、newsや情報というのはPersonalなものです。欲しいものが情報です。誰もが知り得ているものは情報ではありません。これを根本から変化させることがサイバー戦争から進化して起きます。アノニマスやKKKだけではありません。頭脳集団、秘密結社、Mensaも同じです。宗教もあります。

 起訴することが警察の専権事項などという国家はありません。

 情報社会が成熟ではなく未熟に逆行する中で、メディアは大きく変貌します。

 そのスタートが本年から始まります。高齢者の比率、人口比率が変化するまで続くでしょう。それでは目に見えて起こること、それは日本民族外の人種の居住者が増え、日本人という古種が消えるということです。マジョリティからマイノリティへ向かいます。それは良いことと悪いことの両面ありますが、事実として種の雑種化はボーダーレスを生みます。神国日本国が変容してゆくときでもあります。

 美しいという美意識すら変容してゆきます。その功罪をどのように受け止め、受け入れるか、もう一度考えて情報を整理して、情報を捨てましょう。